毎朝起きるたびに、すっごくマイナスな感情からスタートすることが多い。
ここ一年そういう日が顕著に増えていて、ひどい時は消えなくなるぐらいにしんどい時がある。
それでも自分にスイッチを入れてなんとか一日をスタートさせているのだけど、最近日記を書くようにしていて、そのおかげで自分の内面の動きについて色々と理解が増してきている。
その理解が増すと同時に分かってきているのが、感情コントロールのために”押し込める”というやり方は違うということと、感情コントロールスキルを身に着ける習慣として日記があるのでは?ということ。
そんなことをツラツラと。
ネガティブ感情とモーニングノート
毎朝毎朝、寝起きが本当につらい日々が続いている。病院に行くまでもないレベルの鬱では?と自分なりに思ってしまうぐらいで、まだそうやって客観的に自分を見れているぶんだけマシなのかな?とも思っている。
けど、毎朝ネガティブ感情100%で目が覚める。そこから徐々に立ち上がるにつれて感情がポジとネガ50:50の割合ぐらいになっていくイメージ。Windows98ぐらいの立ち上がり速度。
その過程では自分の感情を押し込めたり、無視したりしてごまかすという過程を毎日踏んでいた。要するにネガティブに気付かないふりをするイメージ。
振りかえると、これは小学校時代ぐらいから続けていた癖のようなもの。ネガティブ感情は押し込めるということを習慣として続けていたのだと思う。
だから他人のネガティブ感情を出した態度にはイライラしていたのだとも思う。それぐらい自分で押し込めよ!と。
それが年齢のせいか、それともネガティブな要素が増えすぎたせいか、意思の力が最も弱い寝起きの時間帯に強く表に出てくるのだと感じている。
ところがモーニングノートという、感情をひたすら毎朝書くだけの日記を重ねるなかである発見があった。
言葉と感情はとても近い
感情と言葉はとても近い関係にある。
これがモーニングノートを通して最近よく感じていること。言葉にすることで消えたり、言葉によって流れが変わったりもする。言葉と感情はとても近い関係にあると感じている。
感情コントロールスキルとは言葉のスキル
自身の体験からわかるのは、感情をコントロールするスキルとは、つまり言葉をどう使うのかに長けているということなのだと感じている。平たく言えば、感情コントロールスキルとは言語コントロールスキルでもある。
例えば、少し調べると日記と感情が近いしい距離感にあるということを証明する論文もある。
この論文では、書く内容の方向性によってどういう感情に影響を与えるのかが分析されているけど、まさに言葉と感情が近しいことを表している。
日記を書きながら、どんな言葉が自分の中にあるのか。感情を言語化することで知る。 また、どういう言葉を書けば自分の感情はどういう方向に動くのかを感じてみる。
言葉による感情の変化を感じ、その言葉によって自分の中立の位置に持っていくことができることを感情をコントロールするということだと思うので、感情コントロールが苦手というのは、どんな言葉が自分のどんな感情に響くのかが理解できていないということなのだとも思う。
感情は水が入っている桶
モーニングノートを通して、そういう言葉と感情の繋がり、関係性について実感することができているけど、その理解が深まるほど、こんなイメージを持つようになっている。
感情は、”桶に80%ぐらい水が入っている状態”なのでは?と。 そして、この桶が平らな状態に持っていく力が”言葉”なのでは?と。
逆に言えば、感情をコントロールする力がない状態とは、言葉で桶の傾きをコントロールできない状態を意味しているので、常にどちらかに傾いている。だから、外部から衝撃が加わるとその衝撃によって桶の中では波ができる。強い衝撃ほど波が高くなる。
その衝撃を避けるために、他者と距離を取ったり、関りを絶ったりして、桶に力が加わることを避けようとしているのではないか?と考えている。
衝撃が加わっても桶の中はなるべく平穏であり続けるためには水平な状態を保つことが大切で、その水平な状態を保つ力が言葉の力なんじゃないかな?と思うわけです。
衝撃力と持続力は比例しない
言葉の”単発の衝撃力”と”効果の持続力”は必ずしも比例していないようにも感じています。中には比例するものもありますが、中には比例しないものもあると感じています。
例えば、落ち込んでいる自分自身に、”しっかりしろ”と叱咤するとその瞬間はシャキンとします。でも、それは一時的で、また時間とともに落ち込む自分自身に戻ってきます。そして、また叱咤する。でもまたもとに戻る…を繰り返します。
これは、叱咤は単発の衝撃力は高いけど、効果の持続力は低いということを意味しています。
ではどうすればいいのか?という部分では、まだまだ自分自身のスキル不足で適切な言葉がわかりませんが、例えば、”よくやってるよ”とか、”ゆっくりやろう”という言葉で気持ちを落ち着かせるほうが、効果は持続するんじゃないかな?と思うのです。
落ち込んでいるときは、たいていは自己嫌悪で自分が許せない、こんな自分は認めたくないという状態のはずなので、許して、認めてあげるというアプローチのほうが効くと思うのです。
こういったことは日記を毎日書いていると分かってくるんです。
毎日落ち込んで、毎日同じように叱咤して。それでも毎日同じってことは、これはアプローチが間違えているよな…と。
これらは感情を言葉にすることで得られるメリットで、日記を書くことで得られる感情コントロール力なんじゃないかな?と思うんです。
だから・・・
感情のコントロール力を上げようと思うのなら、日記を書く習慣を身に着けるというのが一番簡単で、そして効果は絶大だと感じています。感情と言葉はとても密接だからです。
そして、言葉で感情をコントロールできるようになると、おのずと人間関係にも良い影響は出てくるのでは?とも思うのです。
人は”感情”の生き物だと言います。人間関係の構築が上手い人は、結局は相手に不快な思いをさせないからだとも言います。それはコミュニケーションの中で発する言葉が、感情的に心地が良いものが多いということも関係している気がします。
感日記で感情を言語化すること、言葉で自分の感情を癒し、豊かにするということは、そういった場面でも自然と生きてくると思うのです。
日記を書く習慣で得られる複利は大きいんじゃないかな?なんて思っている今日この頃です。
自身の感情コントロール力を上げたい…と思っている方は、よければ参考にしてみてください。
そして、モーニングノートってなんやねん!?って方は、詳しくはこちらの書籍を参考にしてみてください。