超雑記ブログ

頑張って雑に書く日記めいたもの

日記は記憶を言語化する能力を高めるすごいツールでは?

記憶の中にあるものを引っ張り出して言語化する。それだけで記憶にかなり定着するというアクティブリコールという学習方法を実践しているが、その効果を実感するとともに、日記を書くって実はすごいことでは?と思っている。

アクティブリコールと日記

毎朝、アクティブリコールで学習しつつ、こうやってブログやノートに日記を書いていると思うことがある。

思い出すという作業が記憶を定着させることはまず間違いない。思い出せないことは記憶の中にないのと同じ。思い出すことができてこそ記憶であり、アクティブリコールでそれを強化することができているという実感がある。

数週間アクティブリコールを実践して、これを習慣に取り入れようとして正解だったと実感しているのでこれからも続けていきたいと思っているが、そこで思ったのが日記。日記を書くといいぞとあちこちで何度も聞いていたし、全員が一度は日記を習慣にしようとトライしたことがあるとも思う。

その日記。やっぱりいいものなのだ再認識している。その実感の源がアクティブリコール。

日記に今日の事を思い出して言葉にして書き残すというだけで、記憶の定着度はあがる。1日1日を思い出せるから、濃度も充実度も高まる。年を取ると1日が速いと実感するのは、その1日を思い出せなくなってきているからということが関係しているのでは?と思っている。つまり日記を書くほど時間の流れは遅くなるはず。

そんな日記に、今日の自分の良い所を書くと決めて書いていると、きっと自己肯定感は爆上がる。嫌なことがあったら書くと決めていると、性格はどんどんネガティブになるだろうけど、絶対に嫌なことは忘れない。思い出して書くということで脳に刻まれるのだから。

もし今日の勉強の復習を日記の中でやるとするなら、それだけでかなりの学習効果はある。思い出して書くということで恐ろしいほど記憶に定着させてくれる。

だから、日記を書けと昔の人は言っていたのかもしれない。印象的なことを忘れないように、忘れたくないことを忘れないために書け!そういう事なんだと思う。

日記に書いても見返さないしなんて意見もあるかもしれないが、極論を言えば、見返さなくても良いと思う。

日記に書くという行動、作業、工程そのものが重要で、思い出して書いた時点で脳にかなり定着するので日記を引っ張り出さなくても記憶の中に日記は残っている。

これをもっと幼いころに実感できていればな…と悔しく思う。