超雑記ブログ

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某ミュージシャンがXでオラつくダサさに思うアウトプットと人間性

最近、某ミュージシャンのXでの発言を見て、すっごくガッカリした。単なる悪口になるので誰の事かは言わないけど、シンプルに「だっさいな…」と思ってしまった。

普段は音楽で散々恰好をつけているのに、言葉での表現となると幼稚だな…と。

でも改めて思うと、人間ってそんなもんだよな…と。一面は輝いているからといって、他の面も輝いているとは限らない。なのに一面が輝いているだけで、他の面も輝いていると錯覚してしまった。

そんなことから、アウトプットを磨くことの大切さを思ったりもしました。

某ミュージシャンのXに思う事

カッコいい人に違いないという思い込み

そもそもとして、あるミュージシャンの発言をダサいと思うのは、その人がかっこいい音楽をしている人だという先入観のようなものがあったからだと思う。

ロックを通して、自分の言いたいことを伝えている。

そういうかっこいい姿をどこかで見ていたので、Xでの発言もかっこいいと思っていたら、すごく幼稚だった。簡単に言えば知性を感じない。そのうえファンと思われる人たちがなだめているのを見ると余計にダサく感じたりもした。

それらの1つ1つがギャップになって強く印象に残ったのだと思う。

音楽の表現と言葉の表現は別物

そこで思ったのが、ミュージシャンと言われる人は、音楽で何かを表現するのか上手い人達のことであって、例外はあるけど、決して言葉の使い方で世の中に評価をされてきた人たちではないってこと。

つまり、言葉の使い方に関しては素人と遜色はないし、遜色なくて当然だとも思う。

でも、一部分が秀でているおかげで他も秀でているに違いないと錯覚をしていた自分が居た。

それをブランディングが上手いと言えばその通りだけど、それは結局は幻や思い込みでしかなく、実態は一人の生身の人間、そこらに居る大人とあまり変わらない。そんなことに気づいたわけです。

ハロー効果

そこでふとよぎったのがハロー効果というメンタルモデル。

ある対象を評価する時に、それが持つ顕著な特徴に引きずられて他の特徴についての評価が歪められる(認知バイアス)現象のこと。例えば、ある分野の専門家が専門外のことについても権威があると感じてしまうことや、外見のいい人が信頼できると感じてしまうことが挙げられる。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%83%BC%E5%8A%B9%E6%9E%9C

売れているミュージシャンは、きっと人間的にも優れているに違いないという思い込みはまさにこれ。

秀でた特徴を持つ人は、きっといい人だというのは誤りでまやかし。でも、人間はそういうバイアスを持ってしまいがち。だから、世の中にはブランディングというものが成立しやすいのだとも思う。

優れたアウトプットを持つということ

アウトプットの大切さ

あるミュージシャンに対してハロー効果を持っているということを自覚すると同時に、それって優れたアウトプットを持つことがいかに有利なのかということを表しているよな…とも思う。

例えば、ある分野において他の追随を許さない実績を持つ人が居ると、周囲は一目置くはず。天才やら神やら、その人を持ち上げるかもしれない。

すぐれた実績以外は普通、さもすれば平均以下かもしれなくても、すごい実績がそれを覆い隠す。

人間なんだからすべてがすべて優れているわけがないのに、人間が思い込みで判断をする限り、すぐれた実績を持つ人のことを必要以上に高く評価することになる。一目を置かれる。

その幻や誤解を上手にコントロールできれば、世間的に高い地位を得たり、組織で出世することもできると思う。

それは何か1つでも優れたアウトプットができる人間になることが人生になみなみならないプラスの影響をもたらすことを意味しているとも思う。

アウトプットが人生を変える

優れたアウトプットを出せる人物になることができれば、他の面も平均以上だと思われやすい。

だとするなら、まずは優れたアウトプットを1つ以上持つこと。それが人生に大きなプラスの影響を与えることになると思う。

それが何かは個人差が当然ある。 あるけど、何か1つ優れているだけで自身の評価を高める武器になるのは間違いないと思う。

例えば、歌がうまい人は歌、英会話ができる人は英会話、何ならエクセルが誰よりも上手く使えるとかでもいいと思う。何でもいいので優れたアウトプットを1つもつと、それが人物評価を底上げしてくれる。

すでに得意なことや、誰かが褒めてくれたことは徹底的に磨いてみる。

そうすることで人生におけるいろいろな場面に変化が現れるんじゃないかな?と思う。

その人の専門外には期待しない

逆に言えば、ある人が優れたアウトプットを持っているからといって、他の場面でも同様のレベルを求めすぎないことも大切なんじゃないかな?と思う。

よくテレビでコメンテーターがいろいろな場面について語っているが、たいていは、その人はその問題の専門家じゃない。専門家じゃないなら感性や知識は一般人と変わらない。

なのに、ハロー効果のおかげで、そういう人の意見をありがたく聞いてしまう節がある。

そこを自分自身はハロー効果に注意して、専門家じゃない人の意見を避けることができれば、余計な情報に惑わされる機会が減るんじゃないかな?と思う。

プレイヤーから解説者へのキャリア移行の違和感

余談ですが。

僕の感覚では、プレイヤーだったからその分野の解説者に移行するというのも違うな…と思っている。

よくサッカーのことを元プロサッカー選手が解説している。その人のサッカー選手時代の知識と経験、そして知名度などから来る説得力も相まって仕事として成立している部分はあるけど、決して解説力の評価でその地位を獲得したわけではないと思うことも少なくない。

素人よりは断然語れる材料は多いけど、だからといってプレイのあらゆる局面で起きていることを客観的に説明できる人なのかどうかはまた別。

僕の中ではプレイヤーとして素晴らしい上に、表現力も優れている人は2名しか思い浮かばない。

1人は陸上の為末大さん、1人はサッカーの戸田さん。この二人は選手時代の知識だけで話しているのではなく、座学でいろいろな知識を獲得し、それを経験とミックスさせて日々言語化して表現力を磨いておられる稀有な存在。

それは言葉での表現力というアウトプットを別軸で磨いた結果であって、プレイヤーだったから誰でもできるものではないと思っている。プレイヤーが横移動のスライド的に解説者になるのは自然なキャリア移行とは思えない。

ってなわけで…

あるミュージシャンのXでのふるまいの下手さ加減に、アウトプットが持つ影響力の大きさのようなものを実感したという話で、同時にそれは個人個人がアウトプットを磨くことが周囲の評価にどういう影響を与えるのかを実感する良い材料になるな…とも思いました。

優れたアウトプットがあると、他の面も一目置かれるようになる。 だから、アウトプットを磨くというのは、人生を変えることになるよね…って。

そんなことを思ったので書かせてもらいました。