超雑記ブログ

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達成したい目標をノーヒントで書けることは大切

毎朝モーニングノートなるものを書くようにして1か月ぐらいが経つ。書くことでいろいろな発見はあるし、その発見に合わせて何を書くのを変えていっているが、その変化を通してもまた発見があったりする。

最近の発見は、ノールックで書けない目標はかなわなくて当然だよなってことだったりする。

達成したい目標をノーヒントで書く

目標を書くということをこの1週間ほど続けているが、自分でも驚いたのが、2日目や3日目の時には、昨日書いた目標を書くことができなかったりする。

ノートを目の前にして、目標を書こうとした時に「あれ?なんだっけ?」となる。

昨日書いたことが書けない。昨日書いたページを見て「そうだそうだ」って感じで書く。そして、翌日「あれ?」となる。物忘れが先天的に激しいってことを差し引いても、こんなに覚えてないものなのか…と愕然とした。

ノーヒントで思い出せない=わからないと同じ

暗記をするというのは、ノーヒントでそれを思い浮かべることができる、思い出せるということを意味している。頭の中に入っていて、いつでも取り出せる。それが暗記。

目標を暗記していないという状態は、目標をいつでも取り出せる状態ではないことを意味している。いつでも目標を取り出せないなら、その目標に向かって行動できるのか?と考えると、できないよな…となる。

どこを目標とすべきかわからないというのは、ナビに正確な目的地を入れずにルート検索をするようなものなんだから、目的地にスムーズに到着するわけがない。

目標を暗記するぐらいのことができてないなら、その目標を達成できないのは当然だと思う。

意識がそちらに向かう

モーニングノートに目標を頻繁に書くようになり、目標をノーヒントで書けるようになった。そうなると同時に、目標を日常のふとした場面で思い浮かべることができるようにもなっている。

暇なときには「○○月までにはxxしなければな…」とぼんやり考えるようになっている。

それが即座に何らかの行動に影響を与えているのかどうかはわからなくても、そうやってぼんやりと考えることで脳は目標を達成しようと働いている感覚はある。

”書けば実現する”みたいなことを自己啓発でよく目にするが、こういう事もそれが意味することの一部なのかな?とも思う。

思い出しまくることを意識してしまう

逆説的ではあるけど、何度も何度も無意識的に思い出すことを脳は実現しようとするのなら、ネガティブなことを頻繁に思い浮かべてしまうと、それを実現しようと脳が機能するということにもなる。

「自分はダメだ」「また失敗した」

これらを考えまくっていると、そちらに向かって自分自身が行動をとることになり、さらにその思いを強化することにもなるのかもしれない。

そう思うと、頻繁に何を思い出すのかはとても大切で、その方向修正は目標を書き出すことで実現できるのかな…?なんて思う。

なので…

何かかなえたい事や、そちらに向かいたいと思うことがあるのなら、”目標を毎日書く”という作業を繰り返すほうが良いように思う。

何かを見て書き写すのではなくて、何も見なくて思い出す。思い出せる範囲で書いて、それでも書き出せないならヒントを見る。それぐらいの負荷を書ける状態で書くと、目標が自分の中にみるみる定着していく感がある。

そして、定着するほど目標を意識するようにもなる。

書くってすごい可能性を持っているな…と思ったりもする。