毎日ブログを書きたいなって思っているけど、毎日書くって意外と大変だよな…ってことで悩んでいる自分も居る。ハッキリ言って、自分はブログを書く”才能”というものは持ち合わせてないのだと思う。
そこで思うのはそもそも”才能”とは何かってことと、それを見つけられる人と見つけられない人は何が違うのかという部分。
ハッキリ言って、調べれば調べるほど明確な答えらしきものが見当たらない。大雑把に答えは同じでも、部分部分で微妙に違うという考え方や意見などが多くみられる。
なので、断定することはできないけど、才能とは何かと才能の見つけ方はこうだと思うってことを書きたいと思う。
才能とは何か
才能という言葉を辞書をそのまま引用すると…
物事を巧みになしうる生まれつきの能力。才知の働き。
こうなりますが、僕にはよくわかりません。多分、全員がまあねって納得できるギリギリのラインの回答であって、中心を外したフワッとした回答でおさめているような気がする。
僕はある本で読んだ次のような考え方が好きです。
才能とは”才”を活かす”能”力があることを言う。
才は生まれつき、それを活かす能力を身に着けていることが才能がある人であるという考え方です。つまり、生まれつきのものではなくて、生まれつきのものを活かすための努力を重ねた人が才能がある人ですという考え方です。僕はこれが気に入っています。
才能を見つけるには?
そんな才能を見つけるにはどうすればいいのか?という方法論には、次のようなものを多く見かけます。
他人より上手くできること
他人よりうまくできることは、才能があることであるのは間違いがないと思います。見ただけで覚えるとか、少しやればマスターするとか、そういう勘の良さは才があるという解釈で良いと思います。
実際に、オリンピックに出る選手は、他の人と競争したときに他の人よりもそれをうまくできたからその場に立っているのであって、それは”才能がある”ということに他ならないと思う。
誰かと比較して、誰かの競争して、誰かよりも上になれるもの。それは才能があります。
ただナンバー1じゃなければいけないのかというとそうではなく、感覚的には不特定多数と勝負して勝ち越せるぐらいなら十分で、上位20%内なら間違いなく才能はあると思います。
好きで仕方がないこと
それをやっているときに夢中になり、時間を忘れてしまう。そんなことは才能がある可能性があると言われています。ただ、これには賛否があるかもしれません。
人よりうまくそれができるけど、練習は嫌いという人も少なくはありません。
なんなら天才と言われる人は練習嫌いみたいな傾向もあったりするので、なんとも言えませんが、好きで仕方がないからこそ練習もできるし、壁を超えることができるとも言えますので、やはりそれらは才能があると言って間違いはないと思います。
僕が思う才能がある人の共通点
一般的に言われる才能があるという人の特徴を挙げましたが、僕は少し違う角度で、”毎日簡単に苦も無くできている事”も才能の片りんだと思っています。
簡単だけだと誤解があるというか、範囲が広すぎるかもしれません。
例えば「歩くのは簡単だから歩く才能があるのか?」ってことになるかもしれない。
言葉の定義としては、歩くのが簡単だから「歩く」という才覚と能力があるという意味で才能があると言えるかもしれないけど、毎日それができるか?となるとどうでしょう?
毎日毎日1キロでいいから歩きなさいってなると、毎日1キロ歩くってなかなかできることじゃないって人は多いはず。でも、歩くことが苦じゃなく、なんなら楽しいって人なら、毎日1キロ歩くのは簡単に感じるはず。
才能があるから”毎日簡単にできる”のだと思うし、毎日簡単にできることは才能の片りんだと見て間違いがないと思っている。
価値のある才能と無価値な価値
才能があるとしても、そんなものに意味ないじゃん!って思うものがあるかもしれない。それこそ毎日1キロ歩けるからといってそれが何の価値があるんだよ!ってなるかもしれない。
現代は健康志向が高まっているので歩くことへの価値は高まっているけど、それこそ一昔前なら、毎日歩けますってなっても、「だから?」となっていたように思う。何が違うのかというと、その才能が”誰かの何かを増やす・減らす”に貢献できるのかどうかだと思っている。
つまり、誰かのために役立てることができると分かれば、その才能は価値のある才能になる。
読書が趣味の人は、毎日読書をしても苦じゃないはず。
きっとそれは読書の才能があるのだと思う。その才能を他人のために使う。例えば、それこそダイエットに関する書籍ばかりを読むようにすれば、ダイエットをしている人へのアドバイスができるようになるし、その人に合った良い本を紹介できるかもしれない。
毎日できることを誰かのために使うと決めた時に、初めて価値が生まれるんだと思う。
毎日歩くのが苦じゃない人は、その才能を生かして、子供たちが登下校する時間帯に近所を歩くようにすれば、子供たちを危険から守ることができるかもしれないよね?みたいな。
才能がないことは続かない
逆説的に言えば、才能がないことはどうやったって続かない。
ダイエットにしろ、筋トレにしろ、その方面の才能がない人は、毎日続けることができない。いやいや、気合が足りないんだ、いやいや計画が甘いんだ…などなどいろいろな助言や提言はあるかもしれないけど、それらは全て生存バイアスからの意見だと思う。うまくいった人の意見、つまり才能がある人側の意見。
才能がないことは続けられないように人間は設計されていると思う。才能がないことはとにかくそれが苦痛、苦痛なので続けることよりも続けないことを優先したくなる。そう設計されている。
例えば、高学歴の人たちは、勉強そのものが楽しくて、趣味ですらあるとよく聞く。とある高学歴俳優さんは、休憩時間の息抜きで大学受験の過去問アプリをやっているらしい。勉強が苦痛じゃなくて快楽であり癒しでもあるんだから、そりゃ頭が良いよって話。
でも、勉強が苦痛な人に、同じことをやらそうとしてもまず無理なはず。
毎日できるのは才能だし、毎日できないどころか続けるのが苦痛なことは才能がないと割り切るほうが本人のためだとも思う。
なので…
才能を見つけるにはどうすればいいのか?となると、毎日できること・毎日できていることは何かをリストアップしてみるというのが一番手っ取り早いとは思う。
加えて、新しい習慣を身に着けてみようとトライしてみるというのも1つの方法だと思う。
例えば、毎月1つ、何かをやめて、何かをはじめると自分に課してみる。そして経過を見てみる。才能がある事ならそれほど苦も無く続けられるはず。
そうやって繰り返し才能を試していくことで、日々、苦じゃないことを続けているだけなのに、他の人よりも優れた能力を持つ人になっていくんじゃないかな?なんて思う。
ブログを書き始めてまだ数日、もう息切れをし始めているので、毎日更新はやめようと思っている。
1記事を数日に分けて毎日は書くけど、更新は何日か1回にしようと。じゃないと、生活バランスが偏りすぎてしまう。つまりそれは僕には記事を更新し続ける才能がないことを意味しているとは思う。
ただ、こうやって何かを考えてまとめることは毎日趣味のようにやっているので、そういう方面の才能はあるんだと信じている。
それを人のために使うことができれば、この才能に価値を持たせることができるんじゃないかな?
そんなことを思いながら書いてます。