超雑記ブログ

頑張って雑に書く日記めいたもの

思い出せないことを思い出す練習をすることの大切さ

年を重ねると、あれこれと悩むことが増える。その1つが、思い出せなくなるということ。自分でも驚くほどそれを実感している。

ただ、それについて思うことが1つある。思い出す練習をしなくなっているのでは?ということ。

思い出すことを練習する

加齢とともに記憶は衰える・・・

残念なことに加齢とともに記憶は衰えていくらしい。

それっぽい論文を読んでも、加齢とともに記憶が良くなるなんてデータは1つもなく、たいていは加齢とともに記憶は衰えますよってことが書かれていて、その衰え具合は年齢を重ねるほど、記憶したいことが長期にわたるものほど衰えが顕著。悲しい。

https://fwu.repo.nii.ac.jp/record/2305/files/KJ00004437215.pdf

そういうものなのだと受け容れつつ、1つ思うことがある。

アクティブリコールをしながら思う事

最近、アクティブリコールという勉強方法を取り入れていて、これの効果に自分でもときめているわけだけど、そのアクティブリコールをしながら思っているのが、”思い出す”ということそのものの回数が減っているのではないか?ということ。

意欲的に、積極的に思い出そうとしていないから、だから記憶力が衰えていくのではないか。そんなことを思わなくもない。

アクティブリコールは脳内にあるものをノーヒントで書き出すという作業がメインで、その工程はまさに思い出してアウトプットするという行為そのものではあるけど、これがいざやってみるとなかなか難しい。覚えているつもりでも覚えてないし、ノーヒントでとなると本当に思い出せない。

そこでいくつか思う。

思い出し想像しが減った現代

昔はテスト勉強などで思い出す機会が強制的に存在していたし、あと、今のような映像ツールがなかったので、色々なことが記憶と想像の中にしかなかった。一度見たドラマは思い出してもう一度楽しんだり、一度読んだ漫画はまた思い出したり。そういう楽しみ方をしながら記憶力を鍛えていたのでは?と思う。

今は大人になり、そしてデジタルツールが豊富に存在していることから、そういう機会がぐんと減っているように感じる。想像しなくても少し操作すれば具体的な映像が目の前に現れる。

思い出せなくても、ヒントを与えてくれるし、なんならオススメで教えてくれる。

思い出すという行為そのものをしなくても良くなっているから、それによって思い出す能力が衰えているんじゃないかな?なんてことを思わなくもない。

てなわけで・・・

勉強をすると自分の中にわかること、理解できることが増えていく実感がある。勉強の仕方を変えたことでその実感はより一層顕著なものとなっているけど、思い出すという行為の頻度が年々減ってきているのではないか。

それが記憶力の低下に繋がっているのではないか?なんてことを思ったよってことを書かせてもらいました。

記憶力なんてこれからの時代必要ないよって言う人も居るが、あれは嘘だと思っている。覚えていることが基本、なんなら覚える能力が長けている人は圧倒的な有利な世の中であることに揺るぎはない。

仕事でも、結局は何も見ずに、てきぱきと確実かつ正確な作業ができる人ができる人なわけで。その土台には”記憶している”し”いつでも思い出せる”という部分がある。覚えなくていいからといっていちいちマニュアルを見ていては生産性なんて一生上がらない。

覚えること、思い出せることが基本だとするなら、思い出す練習をして記憶呼び覚まし筋肉を鍛え続けることは大切だよな…なんてことを最近よく思う。