超雑記ブログ

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ルールを破る不真面目さが老い対策

ルールを作って、はめ込んで、ジャッジする。

これが癖になってるよな…なんてことに最近ようやく気付けた。

この傾向を捨てたいと思いつつ、でもやっぱりルールを作り、はめ込んでジャッジする性格は治りそうにない。

困った…。

なぜルールを決めるのか

ルールを決める理由

なんでルールを決めたくなるんだろう?って考えると、自分自身がルールがあるほうが楽ちんだからってことが大きい。そのルールに従っていれば、それなりの再現性を持って結果を得ることができそうな気がする。

だからルールを作って、そこに縛られている。

ただ、この弊害を感じ始めている。

真面目と惰性

僕は「頑固さ」と「真面目さ」は近しいと思っている。その二つは別物だって記事をちらほら見かけるけど僕は別物だとは思ってない。

真面目だから頑固になるんだと思っている。思いっきり因果関係だと思う。ただそれ以上に慣性がはたらいているってのが大きいと思っている。

今までこうしてきたからそうしている。深い理由はない。

でも、深い理由はないって言っちゃうとカッコ悪いので理由をつけている。そんなのがあると思っている。

ルールを守ると摩擦が生まれる

惰性であれ真面目さであれ、真面目にかたくなに何かを守り続けるというのは年齢を重ねるごとに生きづらくなる。なぜなら、状況環境ともにドンドン変化していくから。

気付けば以前は良かったけど今はだめってことが増えていたりする。

真面目に生きてきた人ほど、真面目に生きてきたのになぜそれがダメなんだ!って理不尽さがあるんじゃないかな?と思う。

古いルールに縛られている自分を変えたい

価値観の劣化

そんな事を思うのは、自分の価値観が時代遅れになりつつある気がしている部分があるから。めちゃくちゃおっさん臭い文章を書いているよな…とか思うし、普段の会話は昔話が増えたし、新しいことに後ろ向きだったりで、なんだこれ…と思うことが増えた。

そこで「ちゃんとしよう!」と自分を奮い立たせようとするんだけど、ふと思ったのが「これがあかんのでは?」ってこと。

もっと適当に、不真面目にやるべきなのでは?と。

なぜそうなるのか?と思った時の事

そう思った理由が、真面目さと頑固さは近しいよねって思ったから。

脳裏には、いつぞやの光景が浮かぶ。

某吉野家でテーブル会計をしろ!と怒鳴っているじいさんが居た。平身低頭に謝る店員。そこに割って入り「見てみろ、みんなレジに並んでるやろ。並べアホ」と若い時の自分はきつく言ってしまった。

今思えば、おじいさんはテーブル会計のお店しか知らなかったのではないか?レジに並ぶなんてプライドが許せないのでは?とか思ったりもする。

要するに、新しいルールを知らないままで居たからこそあんな事になったんじゃないかな?とか思うわけです。不真面目だからゴネていたとは限らないんじゃないか?と。

真面目さが邪魔するのが老うということ

ルールを守ることが子供のころには求められ、ルールを守る大人になると評価されるようになります。

しかし、ある程度の年齢になると、その古いルールを捨てる習慣ってなものを持ち合わせてなきゃいけないんじゃないかな?とかも思うんですよ。

自分は間違っているかもしれない、自分はまだアップデートできていないのかもしれない。そういうスタンスで自分を書き換えるための習慣が大切なんじゃないかな?と。

今までのルールがこうなんだからとそれを守る”真面目さ”を強く持てば持つほど頑固になり、おじさんになり、老害になるんだろうな…と。

だから、一定の年齢を超えると、自分を変えるための習慣を積極的に回していかなきゃなって思うわけです。

思う事

その自分を変える習慣の一部として、ブログや日記ってアリよな・・・?って思っていたりするするので、このブログを自分書き換えのためのブログとして細々と書いていこうかなと思っている。

ただ、あまり真面目にかたくなになるより、自分を成長させるための柔軟さを持ちながら、受け入れるスタンスで書く意識ってのが大切だったりするよな…なんてことを思ったりする。

 

いい意味で不真面目に、適当に。新しいことにオープンに。