超雑記ブログ

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なぜ仕事をしているのかということへのぼんやりした仮説

お金を稼ぐことに対してずーっとモヤモヤしていたが、そういう感覚にも慣れていて、お金を稼がなくては生きていけないみたいな割り切りで過ごしている。でも、やっぱり自分の中ではシックリと来ていなかった。それが少しだけほどける感覚があったので、その備忘録として残しておこうと思う。

お金は生産物を生産するということに繋がる

お金をなぜ稼ぐのかというより、仕事をするのはなぜか。 それは、安定的に生産し、安定的にお金を生み出す装置を作ろうとしているのだと思っている。

そもそも、お金は物々交換の代替品として普及した。物と物の交換では面倒だからお金で代用しよう、そのお金は腐ることはないしストックもできる。だから重宝されて今に残っているのだと思う。

物々交換で物の代わりとしてという役割があるのだとするなら、物々交換で交換していたモノとはいったい何だろう?ということを考えたほうがいい。

モノとは、一般的には農作物などの生産物を指していたはず。時代とともにそれが変わって、加工品や鋳造品などが出てきたりしたとも思うけど、もとは生産物。その土地で安く安定的にたくさん取れるものと、その地域で不足しているものを交換していたはず。

では、そのモノを作るというのはどういうことかというと、各々が持つ土地で日々作業をしながら育て収穫をすることを意味している。昔の人にとっての労働とは、そういうモノを作る行為そのものだったはず。

つまり、労働をするというのは、安定的にモノが収穫できる状態を作り、維持することを意味しているのだと思う。さらに言えば、モノを作り、それをより多くのお金と交換することまでを目的として労働している。

一言でそれらをまとめると、労働をするとはお金を作る装置を作り、運営し、維持することを意味しているのだと思う。

 

そもそもは自宅の近くの畑や田んぼ、山や海で産物を収穫して、それをお金と交換していた。お金を生み出す装置を各々の過程が持っていた。

でも、それでは効率が悪いってことでみんなで集まって分担し、より効率よく作物を取るようにした。その延長として会社というものがあるのだと思う。会社に勤めるとは、つまり、その会社が持つモノを生み出す仕組みを回す一員となることを意味しているのだと思う。

仕事をするとは、みんなでモノを生み出して、お金にして、それを山分けしましょうよ。しかも安定的にその仕組みが回せるように工夫もしましょうよってことの集まりであり、行動なのだと思う。

 

そこでもう1つ思うのが、今は各々がお金を生む仕組みを持ててしまうよね?ってこと。

ブログやSNSで人気者になってお金を得るという意味でもそうかもしれないけど、もっとダイレクトに、お金がお金を生むというものがある。投資と呼ばれるもの。お金を投資して、そのお金がお金を生んでくれる。まさにお金を生む仕組みそのものである。

それを今は個人が比較的簡単に持つことができる。

これを持つこと、これを育てることを仕事の目的としてもいいんじゃないかな?とも思うし、そのフェーズに世の中は入っていると思う。

各々が投資でお金を生み出す環境を作り、そこで生活の安定を得る。そこで生活の安定を得ることで、社会保障などに頼り切らない状態を作る。そういう方向性に個人個人でシフトする時代なんじゃないかな?とも思っている。

 

つまりまとめると、お金は物々交換の道具として浸透した。物々交換では何を交換していたのかというと生産物と生産物。安く大量に取れる生産物と、必要な生産物を交換していた。その生産物はどうやって生産していたのかというと個人や集落単位で畑や田んぼ、山や海で収穫していた。お金は生産物が姿を変えたものである。

そのお金をより効果的に、もっと大量に…ということで工場などの集合して作るという形態が発展したんだと思うし、会社という形態もそれに伴い広がったのだと思う。つまり、みんなでよりあって生産物を生み出す仕組みを持とうよ!その富を分かち合おうよ!が会社の意味や意義。

そして今は個人がお金を生み出す装置を持つことができる。それが投資。投資を活用すれば、お金がお金を生んでくれる。そういうものを個人が所有できる。そんな時代に突入していると思う。

 

さらにさらに平たくすると、仕事をするとは、お金を生み出す装置に参加して山分けをもらうことだと思う。