大人として上手くやっていくには何が必要?となると、やっぱり”コミュニケーション能力”という事になってくると思う。もちろん、知識、スキル、経験は不可欠だとは思うけど、それらがあってもコミュニケーションが機能していないと役に立たない。
では、コミュニケーション能力ってどこで培うのか?となると主に学生時代だろうし、そこでコミュニケーション能力を培うのだとするなら、大人の社会は学生時代とそう変わらない状況になるのでは?とも思っている。
社会での成功について思う事
部活動の立ち位置
妙に印象に残っているけど、何の本で読んだのか思い出せないあるフレーズがある。
「大人の社会は、部活での立ち位置がまんま反映されている」
それを読んだときは「そういうモノか…」ぐらいの印象だったけど、時間が経つにつれ「あれは確かにそうかも・・・」と思うようになってきている。
確かに部活動での立ち位置がまんま反映されつつあるな…と。そう思うにつれて、色々なことが合点がいく。
帰宅部だった自分
まず僕は帰宅部だったので、部活というものを知らない。知らないはおかしいな。部活をやるという体験を味わっていないと言ったほうがいいかもしれない。
一応サッカー部やバレー部に在籍はしていたけど、合計で10日も出席していない。帰宅部のエースだったと言ってもいい。
だから、部活で仲間と何かを成し遂げるということをまったく知らない。で、なぜ部活に行かなかったのか…ということを振り返ると、まんま今もそのままの部分があって自分でも失笑してしまう。
避けたものが人生では重要だった
まず、基礎練習なるものの地味なものが嫌だった。こんな事をして何になるん?という納得のいかない感じがダメですぐにギブアップした。もちろん今から思えば基礎練習は大切だよね…としか思えないけど、当時はそれが分からなかった。
加えて、先輩に命令されたり指示されるのが嫌だった。自分が認めている人やあこがれている人になら全然いいんだけど、名前もよく知らない、なんなら喧嘩したら余裕で勝てそうなやつになんで偉そうにされなあかんねん!みたいな生意気なことを本気で思っていた。
ほんとバカだな…と今は思う。
でも、基礎をコツコツ積み上げることの大切さを知らず、その成果を体験しないまま大人になったこと。そして、少しでも気に入らない先輩や年上には反骨心をむき出す性質のようなものはずっと残り続けてしまい、それが人生を下げることになったな…と、とても反省いたりもする。
部活動の体験が土台になる
その体験を経て思うのが、部活動で基本練習をいやいやながらでもやろうしなかったことや、先輩と上手く関係を構築できなかったことが、自分の人生にもろに残っていたとようやく最近気付けるようになった。
それはつまり部活動の実績ではなく…
- コツコツと基礎練習を積み上げる習慣とそれによって成長する成功体験
- 年齢や考え方の違う人と集団で行動して自分の立ち位置や役割を見つける
- 同じ目的を達成するために自分の力の使い方を考える
こういう事を積み上げることができるのが部活動の良さで、それを積み上げていることが社会に出た時にまんま武器になると思う。
部活動のメリットやデメリットについて
だから部活動をみんなやろう!それが人生の成功や豊かさの基盤づくりになるよ!ってのを記事の結論にしたいと思ったけど、それだと部活動賛歌的な記事になりそうだし、部活動をまともにやってきたことがない人間の出す結論としては不自然だろうってことで少し調べてみた。
部活動に関する論文を無作為に読んでみたところ、次のようなことが言える。
- 部活動は学習意欲と正の関係にある
- 部活動の所属の有無と学習意欲は関係がない
- 部活動を通して理不尽を受け容れる術を学ぶ
- 先輩や顧問が絶対の狭い視野に陥ることがある
https://www.isc.meiji.ac.jp/~w_zemi/bukatu2018.pdf
https://www.kochi-tech.ac.jp/library/ron/pdf/2019/03/15/a1200500.pdf
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jasea/39/0/39_KJ00002616433/_pdf
https://koutoku.ac.jp/toyooka/pdf/department/kiyou/30/30-11.pdf
https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/KK/0020/KK00200L135.pdf
などなど…部活動が絶対的に良いものだと言い切れない研究結果が見られる。
何事も良し悪しがあるのは当然ですので、過度に部活動を持ち上げるのも違うよな…なんてことを思うには思うのですが、集団での生き方をどこかで学ぶことはそのまま人生を左右することになるのはやはり間違いがないような気がします。
つまり・・・
人間は集団行動の生き物なので、集団の中での自分の立ち位置を見つけることは本能的に最優先することだし、それは集団をより良くするために誰かの欠点を補うことで集団の生存確率を高めるように設計されているためだとも思う。
その練習の場として部活動があるのなら、社会の中で、実力があるのに発言をせずに力を発揮しなかったり、声がデカいだけで大したことがない人なのに真ん中に居たりしたり、人事一つで集団が成長したり衰退したりするのも、部活動での姿のまんまだったりするのかな・・とか思ったりする。
そういえば、同窓会があったよってことを中学時代の旧友に聞いた。中学時代の旧友の高校時代の同窓会なので、別の高校の僕には関係がない話だが、今どうなっているのかを聞くにつれ、みんな中学時代と変わってないな…と思った。
野球部キャプテンで勉強は学年一番だった人が今は弁護士をしていたり、まとめ役で温厚でありながら実力は確かだったエースピッチャーは某会社の社長になっていたり。みんなそれ相応の社会的地位を勝ち得ている。
その人たちと比較すると自分がみじめになる一方だけど、部活での立ち位置がそのまま反映しているよな…とそこでも改めて思ったことを書きながら思い出した。
部活動を真面目にしていなかったものには、それ相応の出来事を通して色々と気付かされることになるんだろうけど、問題はそれを気付いた後だよな…と思っていたりもする。
あの時にやろうとしなかったこと、避けたことを今からでも自分を奮い立たせてやってみる時期なんじゃないかな?と。年は取ったかもしれないが、時間が過行くのをじっと待つだけだと後悔だけが大きくなるだけだろうし。
なんてことを思っていたりする。