「この人、面白いな…」と思って釘付けになり、チャンネル登録をし、可能な限りでずーっと配信を追いかけているVtuberがいる。
”さくらみこ”という界隈ではかなり有名な人なんだけど、それを2024年の8月になるまで知らなかった。たまたま流れてきたショート動画を見て、この人おもしろいと感じ、そこからずっと見ている。
https://www.youtube.com/channel/UC-hM6YJuNYVAmUWxeIr9FeA
そんな体験を通して、界隈の事を調べつつこんな事を思った。
「Vtuberのようなキャラクターへのニーズは今後高まるだろうな…」と。
とっくにニーズはあると思う部分はあるかもしれないけど、まだまだ伸びしろを残していると感じていて、むしろAIでいろいろなものが代替できるネット界隈において、Vtuberだけは代替が難しいと思っている。
もしかしたら、1人につき1体のVtuberなんて時代も来るのかな…とか思ったりもしているし、その時代に求められるのは等身大でプレーンの自分を表現できる能力だとも思ったりする。
僕のVtuberへの価値観を変えた出来事
はじめは東野幸治さんのVtube企画
思い返せば、そもそもは東野幸治をはじめとした芸人たちがVtuberになって無茶苦茶なことをしているという動画を見たことがキッカケだったと思う。
https://www.youtube.com/@higayoshivtuber
見終わって、おすすめ欄にショート動画が出ていたのでたまたまチェックしたのが”さくらみこ”さんだったように記憶している。ツッコミがキレキレで、ファンとのやり取りがかなり面白いという内容だった。続けてみたのが、坂道を石を押しながら登るゲームの実況動画で、叫びまくっている動画。
文字にするとそれの何が面白いの?って話かもしれないが、ほれぼれするぐらい素晴らしいワードセンスをしていて、ずっと聞いてられる。「こういう表現うまいな・・・」と感心しっぱなし。
これはもはや才能だよな…と思ってそこからいくつかの動画を見た。
さくらみこ氏と35Pを見て価値観が変わる
動画を見ていく中でいくつか発見があり、その1つがファンとの対話が面白いということ。
良い距離感というか、女性配信主特有のエロを感じさせる雰囲気がない。Vtuberを愛を持って弄るファンと、それを嫌味なく悪意なくさばくVtuberという関係性が、とても新鮮だった。なんか、昔見たニコ生みたいだ…と思ったりもした。
その良い感じの距離感を作っているのは、Vtuberさんが自分を取り繕わず、むしろ素に近いであろう自分を出している事。誤解を恐れずに言えば、失敗ばかりだし、勉強も苦手な自分を隠さずに出していること。
それが親近感を生んでいたり、応援したいという人たちを生んでいるんだろうな…と感じたりもした。
そういう事をあれこれ実感しているうちに、自分の中にあるVtuberのイメージがガラガラと崩れていった。
Vtuberのほうがエンタメ性がある
今までの自分は、Vtuberというのはお金を集めるためだけに設計されたビジネスごりごりの存在だと思っていたので、ファンが望むような見た目、ファンが望むような言動、そして、お金に対して従順という存在をイメージしていた。
ファンが望むような見た目という部分はもしかしたら近からず遠からずで間違いではないのかもしれないけど、ファンが望むような言動やお金に従順と言う部分は間違っていた。
本当の意味ではファンが望む言動をしているんだけど、それはゲームキャラクターがイメージ通りのセリフを発するかのようなニュアンスではなく、正直な気持ちのようなものを発している。
そして、お金の匂いがしない。あれ買って、これ買ってみたいな反応はしないし、スパチャが来たからといって大喜びの特別扱いってわけでもない。(もちろんスパチャへの感謝はするしちゃんとコメントは読むけど、大はしゃぎをしないという意味で)
見た目を盛って、言ってほしそうなことを言って、ギフトやスパチャをねだるのはむしろ生身の人間がやっているライブ配信のほうだな…と気付き、そこからVtuberに対する先入観が消えて楽しめるようになった。
Vtuberは可能性がたくさん
そんなVtuberはこれから益々ニーズが増していくだろうな…と感じている。
個人情報を守りやすい
Vtuberの中身が誰なのかは基本的には事務所の人しか知らない。もちろん一部のファンは本体についての情報も把握しているが、それを積極的に広げようともしない。Vtuberを別人格として扱っている。
だから、中の人のプライバシーを守りやすい。これは今のネット界隈で活動するうえではとても重要な事だと思う。
少し有名になると広く多くの人が顔を指すようになり、プライベートが一切なくなるというリスクがあるし、時には身の危険にさらされるなんてこともある。配信や動画をキッカケにして敵意を持ち、急に襲撃してくるなんてこともある。女性なら、性的被害のリスクが高まることも考えられる。
そういったリスクを遠ざけてネット上で活動できるVtuberはニーズは高まることが予想されます。
AIで代替できない
Vtuberという存在はAIで簡単に作れてしまうと思っていたけど調べてみるとそう簡単でもないことが分かった。
見た目を作りそれっぽい発言や会話をする程度の事ならAIがあれば十分に実現可能なんだけど、問題はキャラクター付けの部分にあるらしい。
- 欠点や長所を持ち、それを一貫して保持し続けている
- ファンとコミュニケーションを取る、それを楽しむ
参考:https://ceur-ws.org/Vol-3660/paper21.pdf
こういったことをAIは苦手としているので、キャラクターを作れてもそれを成立させ続けることが難しいらしい。「仏を作って魂入れず」みたいなことになる。
VtuberはまさにそのAIが苦手な部分を人間が担って成立している存在であり、つきつめると、本質は人間ということになってくるので、Vtuberのニーズが高まるほど中の人をやってくれる人へのニーズも高まることを意味している。
つまりAIで奪われない仕事の1つと言う見方ができる。
活躍の場は結構広いのでは?
個人的に思うのが、Vtuberが活躍できる場面は結構多いと思っている。
例えば、テレビのコメンテーターとしてVtuberが出るなんてことは十分にあり得ると思っている。実際に、NHKのチコちゃんに叱られる!ではチコちゃんというキャラクターが司会のような裏回しのようなポジションに居るけど、このようなキャラクターをVtuberが担ったとしても全然不思議ではない。
極論を言えば、回線さえつながればモニターに移すだけでVtuberとしての出演は実現できてしまうので、準備する側もコストを大きく抑えることができる。
将来的にはマツコ・デラックスさんのようなポジションのVtuberが出てきたとしても不思議ではないと思うし、さらに言えば、メタバースのような仮想空間で一人1つのアバターを持つように、1人1つのVtuberを持って何かコンテンツを生むなんてこともあり得るのでは?と思っている。
そんなわけで…
さくらみこと言う一人のVtuberを知ったおかげで、価値観や先入観ガラッと変わって、Vtuberに対してかなり好意的な自分になったということを書かせてもらいました。
Vtuberは未来は明るいとは思います。
どの世界でも言えることだけど、成功するのはいつも一握りの人なので全員が全員うまくいくとは思いませんが、Vtuberから他の業界へと活躍の幅を広げる人は増えてくると思います。
少し前の価値観なら、顔を見せない人が世間でウケるわけない…みたいなことを言う人も少なくなかったと思いますが、もうそういう考え方は古いってことをadoさんが現在進行形で証明していますし、少し前なら米津玄師さんは2018年の紅白で歌唱姿を披露するまでは見た目を大々的には披露してませんが、歌はかなりヒットしていました。
見た目で勝負できる人は隠さなくてもいいですが、それで勝負ができなかったり、勝負しようと思ってなかったり、やろうとしている事と見た目が関係ないポジションの人はVtuber的な存在に代替させてもいいはずです。
そして、一人が1つのVtuberを持つようになると、色々な可能性が広がるような気がします。